2015年12月18日金曜日

FBへの投稿止めてみてます

思うところがありFacebookへの投稿を辞めてみました。


シェアも、投稿も全部停止。ROM(Read only member)になってます。
投稿を止めて気づいたあれやこれ。


結局人の情報はあまり見ていない

直接会話をしていないFacebook。
誰かの何かや日常を書いたところで、誰の何にもなっていないと感じました。

自分の発信する情報は、基本的に自分の体験談を記載しているのですが、誰かの役に立っているという実感が持てなかった。
それよりも、「そんな事を書いたって、結局何も成していないじゃないか」と思われているのでは?と感じるようになったので、書き込みを辞めました。



眉唾な情報をシェアしても評価を下げるだけ

自分の信じている事でも、いまいち信ぴょう性のない話をシェアしたところで、人からの評価は下がるだけだと感じました。
反原発、戦争問題、エコやもろもろ。
結局はシェアする人のヒロイズムなだけです。
自分自身がそうだったのでよく解りました。
そして事なかれ主義、普通が当たりまえの日本人には、こういうイレギュラーな発言は受け入れられません。

なので、もっと実生活から電気を節約するとか、環境に悪い物は極力使わないとか、ちゃんとやってからそういう事を発信した方がいいなと感じました。


評価が下がると人は人を際限なく過小評価する

結局は思い過ごしなのかもしれませんが、僕はいろんな発言をしすぎて、それに伴う何かを成していないと思われて他人から過小評価されているなと感じました。

もちろん、発信している内容を実践してくれる人もいますが、多くの人は、「またあいつがグダグダ言ってるな」くらいにしか捉えられていないんだなと解りました。
口で言わずに背中で語る。これを実現していければいいなと思い、投稿をストップしました。
誰かに会えばベラベラ喋っちゃうんですけどね。良くない癖です。

僕の思うFacebook

僕は高校生の時からインターネットを使っています。
当時2ちゃんねるがまだそこまで有名ではなく、アングラで変な情報も多く面白い時代でした。
そんな時に、2ちゃんねるの管理人ひろゆきさんが言った「嘘を嘘と見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」という言葉が今でも的を得てるなと思っています。

結局FacebookもTwitterも、誰かのチラシの裏の落書きであって、そこに誰が何を書こうが勝手で、それを信じる信じないのは見る側の判断だと思います。

そこで、これは嘘だなんだと言い、さらには嫌なものを見せるななんていうのは、そもそもお門違いだと思います。
嫌なら見なければいいし、表示させないようにもできます。
そんな事も解らずに誰かの情報に踊らされ勝手に怒り、人の書き込みにグダグダいうのは何だかなぁです。

そんなこんなで、良い情報も自分の体験から得た事も、Facebook上では一切公開しないようにしようと思いました。

実際に僕は一ヶ月15000円の節約に成功しました。
誰でもできる事なんですけど、そういう事もFacebookでは公開しません。

今後は、ちょっとずつブログで公開していくようにします。
興味があればたまに覗いて見てください。